感情に名前が付いた2022年
師が走り回る師走もとうとう完走目前という今日この頃、ついこの間までシャンメリーが並んでいた近所のスーパーの棚には、気付けば鏡もちがわんさか積まれていた。
半透明のベールがかかった空気は街中を満たし、人々は忙しなさと、ほんの少しの期待を帯びた表情をしている。
2022年はまもなく終わる。
思うに、この一年間は
水がなみなみに張られたコップを持ったまま全力疾走しているような毎日だった。
社会人生活も三年目になるとできることが増え、変に上昇志向のある私はまんまと仕事人間になりつつあった。
↑↑↑
自分で言うんだ
仕事が嫌で、週5で泣きながら帰ってた女が帰路でも家でも仕事のことを考えるようになるなんて、人生ウケるなと思う。
仕事のことを考える時間と推しのことを考える時間は、見事な反比例関係にあった。
いっぱいいっぱいになりコップの水が溢れそうになる度に、推しへの愛を試されているような感覚に陥る。
このまま日常に夢中になって、深澤くんがいなくても生きていける私になって、ぬるっとオタク卒業できてしまうのではないか、
そんな悪夢が何度も私を襲った。
その度に、目を覚ませ‼️と自身の頬をビンタし、大きく首を振って否定する。
どんなに忙しい日々を送っていても、私の心は確かにすの担だった。
そして、その事実は時に私を苦しめた。
深澤くんのことがこんなに大好きなのにまるで追えていない、
知らない深澤くんが増えていく、
私の深澤くんへの愛はそこら辺の野生のオタクに負けている?
漠然とした恐怖に近かった。
仕事と推し事の均衡を保てている優秀なオタクが世にはたくさんいる。
自担第一、仕事は二の次という全身全霊オタクもいる。
私は、どうしてこうも上手にできないのだろう。
はっきり言って、私にはオタク適正がまるで無かったのだと痛感した。
深澤くんのための時間をつくれない自分も、仕事を頑張れない自分も嫌いだった。
仕事を頑張るほど、深澤担の自分のことが大嫌いになった。
あんなに有難かったプロモ期間の供給過多は、追う余裕がないと地獄だ。
私の知らない深澤くんの話で盛り上がる世間が疎ましくて、Twitterはシャットアウトした。
後に一人で録画を観るとそこには変わらず大好きな人たちがいるのに、いつもどこか寂しい。
推すことへのマイナスな気持ちばかりが募る。
それでも”深澤担失格”になりたくなくて、自分の思う最低ラインを必死で追い続けた。
深澤くんの顔を見て感じる愛おしさが、太陽みたいに明るいものから深海の苦しさのようなものに変わってしまう日もあった。
思い返せば「がんばろう」と思わされることの方がはるかに多かったのに、当時はあまりに必死でそれにすら気付けていなかったのだ。
本当に、情けないオタクである。
そんな状況でも、ライブはやっぱり行きたかった。
むしろ、一年間のSnow Man不足をライブで 返上したい思いすらあった。
仕事を一生懸命頑張ったご褒美に神様お願い、、、!
祈ったけれど、何度目の全落ちか、
結果は惨敗だった。
あぁ、Snow Man第一に過ごせなかったバチが当たったんだ。
自暴自棄になりかけたところを救ってくれたのは、
神様でも仏様でもなくffだった。
持つべきものは友、ツアー最終日の昼に入らせてもらえることに!!(まじでありがとう!)
12月に入ってからは会社の繁忙期、成果に直結する大きなテスト、さらには転倒して前歯3本と小指の爪を失う大怪我(自業自得)が重なり、
信じられないくらいぐっちゃぐちゃの日々を駆け抜けた。
Snow Manに、深澤くんに会える、
何度も唱えてはギリギリで乗り越える日々。
そんなこんなで参戦1週間前にテストが終わり、仕事も落ち着き、
私は数ヶ月ぶりの安寧を手に入れた(やったー!)。
仕事や勉強のことを忘れて自担のことだけを考えていてもいいんだ、、、!
当たり前だったことが信じられないくらい幸せに感じられ、私はオタクとして生きる喜びを取り戻した。
美容院でちょっと良いトリートメントを、
いつもより目尻1mmだけ長いマツエクを、
職場で周りの目をちょっと気にしつつパープルのネイルを。
いずれも自己満足の域を出ないが、好きな男に会うためにと思うと自然と口角が上がった。
そうだ、オタクとは本来かわいらしい生物なのだ。
そしてルンルンで迎えた当日。
視力の良くない深澤くんの目に私が映ったかは微妙だけど、
私は目の前に深澤くんがいるだけで何ものにも代え難い幸せを感じていた。
瞬きするたび一目惚れしちゃう
とはまさにこのこと、毎秒好きが溢れる。
前髪重めのサラストと白くて透き通った肌とのコントラストが、無駄のない洗練された綺麗さを際立たせていた。
端的に言うと、ビジュが爆発していた。
信じられないくらいかっこよくて、モニターに映る度に「かっこいい…」と声が漏れた(かなりガチ)。
かと思いきや全力キラッキラアイドルの可愛さを見せつけられたり、
トークでは深澤ワールド全開で会場を支配したり、(喋る前の「コホンッ アー(裏声)」ちょー好き)
きゅんセリフはやっぱり苦手でおふざけに走っちゃったり、
どの瞬間を切り取っても大好きな深澤くんだった。
ステージの上で輝く自担を目の当たりにして、私はこの人がアイドルでいてくれる限り永遠に深澤担なんだろうなと確信した。
それは、
虜になって抜け出せない
というより
私が自分の意志でこの人を推す選択をし続けたい
と表現する方が近い。
そんなのおかしいと感じる人もいるかもしれない。
好きとか推すとかは意志じゃなく自然に生まれる感情だ、と言われるならばその通りだと思う。
いざ言葉にすると自分でも若干の違和感を覚えるが、それでもやっぱりこれが今の私には最適な表現だ。
私が自分の意志でこの人を推す選択をし続けたい
そこには義務感や使命感は1mmもない。
ただ、この深澤辰哉という素晴らしい人をいつまでも追いかけたい、彼と並んでこれからも歩み続けたい、そのためにずっと好きでいたい、
強くそう思った。
だから、私にはずっと深澤担でいてもらわないと困るのだ。
2022年は充実しつつも苦しい一年間だった。
「好きなら最優先にすべき、それができないのは愛が足りない」
そう言われてしまうと、ちょっと悲しい。
私のDNAは、おそらくオタクになることを想定していなかったのだと思う。
残念ながら私は自担を世界の中心にできなかった。
仕事もプライベートも、貪欲に頑張りたかった。
だけど、それでも絶対に深澤くんを大好きでいたかった。
「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、 私はあなたと結婚したいのです」
某ブライダル雑誌のCMにてこんな素晴らしいキャッチコピーが用いられていたが、ライブを終えたとき私の頭にふとこのコピーが浮かんできた。
これは私のための言葉でもあるような気すらしてきた。
↑↑↑
違う
だけど本当に、わかるなぁと思った。
私は正直オタクをしなくても生きていける。
それは私にとって、結構ショックな事実だった。
だけど、それでも推しと一緒に歩んで行きたいと強く思う。
先天性のオタク体質ではないけれども、深澤くんのことをこれからも応援し続けたいからオタクで居続けることを選ぶ。
それでいいじゃん、と思えるようになった。
日常に忙殺されて遠くなってしまう時もあるけど、必ずここに戻ってくる。
そんな信頼しきった恋人同士のような関係性もアリじゃないか。
↑↑↑
なお、片思いの模様。
先天性のオタク体質が羨ましいのは変わりないが、私は私のペースで不器用ながらも推していく。
深澤くんがアイドルでいてくれて、私が深澤くんを推したいという意志を持ち続ける限り、私は永遠に深澤担だ。
うん、ようやくしっくり来る推しスタイルを見つけた気がする。
幾分か心が軽くなるのを感じた。
今は年末のお休みをもらっているので、時間も心もゆとりのある限りオタク業に専念できる。
Snow Manだいすき!!深澤くんだいすき!!バンザイ!!君を好きでよかった!!!という最高の時を過ごしている。
日常が戻ったら、不器用な私はまた忙殺されてしまうかもしれない。
それでも、必ずここに戻ってくる。
推せるときに全力で推す。
2023年はそんな心意気でドッシリ構えながら、やりたいことを頑張りつつも楽しく推していきたい。
2022年苦しかったなんて言ってしまったけど、嬉しいことも楽しいこともたくさんあった。
贔屓目抜きに、日に日にかっこよくなっていく深澤くんにどんどん惚れ込んでいく日々である。
2023年はどんな深澤くんを見れるかな、
今から既にワクワクしている。
なんだかんだいろいろあったけれど、終わりよければ全てよし。
2022年、私にたくさんの気付きと幸せをくれてありがとう!
お世話になった皆さんもありがとう!
私の推しスタイルを理解してくれとは言わない。
ただ、いろんなオタクがいるんだなぁ、くらいの感じで見守ってくれると嬉しいな。
2023年もこんな私をよろしくお願いします。
新しい年がSnow Manと深澤くんにとってキラキラぽかぽかの素晴らしい一年になりますように。
それでは、良いお年を!